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Channel: 原石鼎
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頂上や殊に野菊の吹かれ居り    大正元年 その1

 一句は、山頂の視界の広がった解放感から思わず「頂上や」ということばが出たのであろう。その高らかな謳い方が「殊に」という措辞によって風の野菊へ一気に収斂してゆく。石鼎俳句はこの句からはじまると言っても過言ではない。実際、この句を含む吉野からの初投句の九句は、「ホトトギス」大正元年十二月号の次巻頭としての登場だった。...

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頂上や殊に野菊の吹かれ居り    大正元年  その2

 野菊で思いだすのが明治39年(1906年)1月、雑誌「ホトトギス」に発表された伊藤左千夫の『野菊の墓』である。15歳の少年が2歳年上の従姉との淡い恋物語で、夏目漱石にも評価された小説。当時ツルゲーネフの『初恋』が多くの若者に読まれたように、『野菊の墓』も好まれて読まれただろう。...

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蔓踏んで一山の露動きけり    大正二年

 この年、石鼎は吉野山中にいる。次兄は山の不便さに耐えきれず下山したため、村人の希望で、次の医師が来るまで医療に従事している。そして九月に医学を再開するため吉野を去るが、父から医学か俳句かと迫られ、放浪を再びはじめるのである。そう考えると、不安な心境が、一句の下地から透けて見えるようだ。...

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颱風のその日訪ひ来し少女かな    昭和9年

 今宵は中秋の名月であるが、恨めしくも本州は台風17号の直撃を受けている。  さっき最大瞬間風速65メートルと聞きとめたのはどこの地であったか、ここ関東圏にあっても夕刻からの暴風雨はすさまじい。  昭和9年というと、すぐに室戸台風が思われる。  私の生まれる前であるが、大阪で教師をしていた母から、児童を必死に守った体験談を何度聞いたか知れないからである。...

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柿の萼猿の白歯をこぼれけり    大正6年

 上五「柿の萼」は、ふらんす堂「原石鼎句集」による。新学社版は「柿の蔕」とある。...

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郷土信仰 

 「鹿火屋」創刊直後に連載されていた石鼎のことばを拾うと「人間は神や仏ではないので、先の予測もつかないし、その真実を正確には掴まえられない。そのためにあくまで自然に縋らなくてはいけない」と書いている。このあたりからは自然信仰という括りが当てはまるようだ。その後、具体的な石鼎の神を知る記事が「鹿火屋」昭和六年十月号にあった。次の句はその雑誌の中にある。...

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雨にぬれ日にあたゝみて熟柿かな    大正9年

 熟柿を実感するのは、掌の上に乗せたときの感触である。掌に沈んでくるような重量感、そして指先に触れる実の柔らかさ。剥いてみればそのゼリー状の実が透明感を見せて、落とせば潰れてしまいそうである。それは身近な木からもいできたものだろう。(雨にぬれ日にあたゝみて)からは、日ごと眺めていた柿の木の背景が立ち現れ、眺めやった月日が重ねられている。ここには恩恵のような輪郭を得た熟柿が差し出されている。...

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秋風や模様のちがふ皿二つ    大正三年

 秋風はとても繊細だと思う。春夏秋冬、いつ吹く風も繊細ではあるが、俳句の中で使われる秋風は、つまり季語としての秋風は、風の中でもとりわけ繊細なように思える。  他の季節の風に比べて、軽さも際立ち、密度もうすい。視覚、聴覚、嗅覚、触覚では、その特質が控えめであるゆえ、触覚に特出して敏感だろうか。特質には、軽さ、うすさもあるが、そのころの温度や気象も大きく作用するから、透明である。...

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秋晴や倒れしままの蘆の原    大正11年

 新幹線車内誌「ひととき」の11月号に、滋賀の写真家今森光彦氏による「琵琶湖の丸立て」なる陰影の濃い写真が載っていた。  近景にばっさりと大写しになっているのは、「丸立て」といって、刈った蘆を乾燥させるのに直径30センチぐらいの束にして、円錐状にいくつも立てられているもの。...

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臘月や檻の狐の細り面    大正七年

 臘月が陰暦十二月の異称と知ったのは、俳句と出会ってからだった。臘月の臘と、蠟燭の蠟は、もちろん字が違うのだが、なぜか白蠟のあの質感、色、つやが、いつの頃からか十二月にふさわしいと思うようになった。蠟燭が一年をかけて燃え尽きる。そういう気持ちにも適うからだろう。それが掲句とどこかで響きあっているようにも思う。...

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白足袋の白き裏見え見えつ空    昭和15年

 人の足の運びを見ていると、その動きとともに足裏がちらちらと上向く。静かに歩いていれば足裏もゆっくり見えるし、足の運びが早ければそれなりに白足袋の裏がリズムカルに裏返る。まるで足袋裏が生き物、例えば太郎冠者と次郎冠者の掛け合いのように動いているのだ。...

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夜の眼鏡蜜柑の皮にのせてあり    昭和7年

 風邪が長引いて、なかなか治らない。  そこへ、「ビタミンCを沢山とって風邪を引かないようにね」と松山の友人が、甘くて大きな温州みかんをどっさり届けてくださった。  思わず私の好きな一句、   みかん黄にふと人生はあたたかし   高田風人子 が思い浮かんだ。...

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松朽ち葉かからぬ五百木無かりけり    昭和26年

 石鼎は昭和26年12月20日、享年65歳で没している。掲出句は絶句として、昭和27年2,3月号の追悼号に発表されたもの。  松はとりわけ大きな木だったのだろう。実際に石鼎の門前にあったようだが、私は何度か石鼎居を訪れたことはあったが、松の木があることに気がつかなかった。多分仰ぐことで松だと認識するような高い所で枝を張っていたのかもしれない。...

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青天に飼はれて淋し木菟の耳    大正八年

 木菟は鋭いくちばしや爪を持ち、目や耳はとても敏感である。だが飼われていれば、それは役に立たない。夜行性なので昼間は巣の中で休んでいるはずだが、その本質も奪われている。ずいぶん前に動物園で、短いくさりに繋がれた梟を間近に見た時の、いたたまれない気持ちを思い出す。あの時も、突き抜けるような冬の青空だったのではないか。耳はどうなっていただろうか。梟の耳は目立たないが、木菟の耳はとがっている。...

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大年の日のさしてゐる小草かな    大正10年

 大年は一年最後の日。  元旦を明日に控えたその日は、寒々しいなかにも、冬日があまねくゆきわたっているのであろう。石鼎が眼を落した、そこには緑の草々が小さな丈を保っているというのである。  「日のさしてゐる小草」は一年365日のいつだっていいだろう。だが、この「大年の日」にまさるものはないように、今年の私には思える。 取るに足らないような小草である。いたずらに生えてもいるような小草である。...

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孔雀描く繪のなかばなる小春かな    昭和7年

 座敷の毛氈の上には大きく繪絹が展げられて、いま絢爛たる孔雀の繪が描きかけとなってゐる。羽毛などの鮮かな色彩を施されたところと、まだ素地や線がきのところと、その混沌たる画面は、そのほとりに散在する硯筆洗や繪具皿と共に雑然とした様相を呈して居る。...

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麻布本村町

石鼎評伝を書いていた時に「麻布本村町」という本を古書店で買ったのだが、その著者が大正14年生れの方。生存もあやぶんだが手紙を出してみたらお元気であったことは、評伝にも書き込んでいる。...

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石鼎と蛇笏の往復書簡

 蛇笏より石鼎への手紙(一部)  石鼎君、恙うして君は都の便りを呉れないのだろう。別離の際語り合った時、君の口から 発せられた言辞はそんなはづではないやうな今尚耳底に残ってゐる。  朝の路上にも最う秋風が仄白く見えるでせう。孤燈をかきたてて句作に耽って居る間にも何処ともなく秋の声が聞えて瞑想の時をもたらすでせう。都のたよりを伺いたいものだ。...

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焚火中俄に燃えて枝ひとつ    大正8年

 燃え盛る火の前にいるとどういう訳か目が釘付け、人間の原始本能が思われもする。たやすく焚火などできない時代になってしまったが、いつでもどこでも管理されたお手軽な火ばかりでいいのだろうかと疑問さえに思う。...

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臙脂の唇玻璃戸にあてて吹雪見る    昭和五年

 べにと白の対比がうつくしい。玻璃戸を隔てて、内には一点のべに、外は雪の白。べに色と白のほかの色は表現されていない。べに色が際立つほど、その人は色白、そして室内は昼間でも薄暗いのだろう。透明な板一枚から、吹雪が窓辺の人に見えている。外ははげしい動、内は静の世界である。吹雪の白にごく少量のべにの配色からは、雪女のイメージも浮かんでくるのだが。...

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