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サンデー毎日

最近頂いた記事。なんと私もまだこの世に居なかった時代の石鼎の記事。 このときは波郷は23歳ごろ。鳳作は20歳、そうしてこの作品の掲載された8月の一か月後の9月に篠原鳳作は亡くなっている。石鼎は鳳作の(蟻よ)の句に以下のような鑑賞をしている。    蟻よバラを登りつめても陽が遠い    鳳作...

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 我庭や鶏頭の陣秋海棠の営   高浜虚子

 表題の虚子の句はこれまで発行されたどの虚子句集にも記載されていない。この句は、石鼎がホトトギス発行所に勤めながら参加していた「無名吟社」の集まりの中で雑誌を作ろうという話が持ちあがったときに虚子が祝意をこめて送ってくれた句なのである。この句によって新たな雑誌は「鶏頭陣」と命名された。...

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福寿草今年は無くて寝正月    原石鼎   大正11年 

大正10年、石鼎は35歳。  この年、石鼎は小野蕪子発行の「草汁」を譲り受け、5月「鹿火屋」と改題して、虚子の許しを得て主宰となった。...

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囀や杣衆が物の置所   原石鼎   大正2年

 木樵の人たちが、斧や鋸を置くところといえば、例えば切株の周辺であろうか。 杉山であろうか檜山であろうか、山深きところの日向に寄せ固めたひとかたまりのものが、まるで宙に浮いたように感じられる。 その宙に浮いたところ、ぽっかり透けたような虚空が、そのまま春の鳥どちの囀りどころである。 逆に言えば、囀りどころが、そのまま杣衆の休みどころでもあるだろう。 「囀」と「杣衆が物の置所」が見事に呼応している。...

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貝屑に蛼なきぬ月の海   原石鼎   大正5年

 貝屑は貝殻であろうか、人々が食べ捨てたものでありながらさっきまで生きていた貝の成分がそこはか付着していそうなもの、そのあたりに蛼(こおろぎ)がいてもいい。  だが、この「貝屑」は、生きている貝に思われてならない。  例えば、取るに足らないちぎれちぎれの和布を「若布屑」というように、この「貝屑」もまた、こまごましたものではあるが、今もって命を保っているものではないだろうか。...

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草庵や屠蘇の盃一揃    大正14年  

 「草庵や」という打ち出しに、正月を迎えた厳粛な佇まい、すっと伸ばした背筋のほども見えるようである。  正座の前には、朱塗りであろうか黒塗りであろうか屠蘇器の一揃いが正しく置かれている。  屠蘇を入れる銚子には年神様よろしく水引が結ばれ、屠蘇をいただく盃は大中小の三つが美しく重ねられている。屠蘇台には松竹梅が大きく彩られていることだろう。...

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そぞろ出て日永に顔をさらしけり(苦吟)   大正3年

 一年で一番日が永いのは夏至の頃であるが、実際の暮しの中では二月も末頃から日が永くなったことを感じる。  春分が過ぎると、のんびりした気分もピークとなっていよいよ日永を実感するものである。  さて、石鼎はその日永を、ただちょっと外へ出てみたまでのこととして詠いあげた。 「そぞろ出て」という間の取り方の巧さ。  日永がまるで顔に触れて感じるもののように、ほおーっと息をつかせて、気分を一新させている。...

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いちさきにつもる枝見よ春の雪    原石鼎 昭和6年

 春の雪は溶けやすいというイメージがあるが、思わぬ大雪となることもあって、一概には言い切れないのが自然現象のありようである。  だが掲句は、やはり淡雪であろう。  はかなげにも、見る間に積もりはじめた雪の美しさに作者自身がもう目を瞠っているようである。...

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炎天や白扇ひらき縁に人  原石鼎  大正9年 

 西日本豪雨の被災地でボランティアが炎天下黙々と働いておられる姿を見ると頭が下がる思いがする。  被災地のみならず、連日の猛暑に熱中症の発症が急増している。  やむなく外出を控え、冷房に閉じこもっていたが、テレビでは、炎天下の街中を、然も暑そうに扇子を使って行き交う人々が映し出された。  これを見て、石鼎の「炎天」の句にはたと合点がいった。...

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青々とつづく山あり鮎の里   昭和四年

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